「3人目妊娠、流産からの気付き」という記事を、
2018年8月に書いていたのですが、今読み返すと、うーん…という内容で。
「3人目妊娠、流産からの気付き」 といいながら、
書いてる内容はそこからの気付きというほどのことでもない。
ただ、今ふりかえると、そこから気付いたこととか学んだこととかって特になくて、
しかもこういうのって、妊娠の経緯も流産の経緯も、
本当に人によってひとりひとり違うから
「私はこうでした。こう感じました」ってことしか書けない。
なので「これを伝えたい」ということは何もないけど
こういう人もいるんだな、というひとつのケースとして。
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私の場合は、想定外の妊娠だったのもあって
(この辺のことはさらに複雑な気持ちがあったのですが書ききれないのでここでは割愛)
流産がわかったときは、
ショックな気持ちと、
それまで出血が続いたりしてたので、心配が続くよりも、ホッとした部分もありました。
私が、3人はキャパオーバーと思ってしまったから
赤ちゃんが遠慮してお空に帰ってしまったのかもしれない、と罪悪感みたいなものも感じました。
でもそこに浸っても仕方ないし…となるべくそういう風に考えないようにしよう。
でも、胸がちくっとする、みたいな感じでした。
(ここは、無理に消化せず、そのままにしています)
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そして、「処置」の日。
本などでは「処置」というし、軽く考えていたけど
実際に自分がそうなってみると
「処置」じゃなくて「手術」やん。って思いました。
手術前は、けっこう怖かったし、
私は全身麻酔だったので、いつの間にか終わっていたのですが
麻酔明けは気持ち悪くなったし、けっこう疲れました。
イメージと、自分が実際に体験することは、
全然違うんだな、って思いました。
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その後、3日間くらいかな、
完全安静ってことで、ずーっと家でごろごろしていました。
ごろごろしているだけだと
悲しいのか、なんなのか、むしょうに涙が出てきて
「このまま元気になれなかったらどうしよう」
って思いながら、過ごしました。
でも、不思議なもので、3日間、さんざん休んで泣いていたら
安静明けして、数日したら、すごく元気になったんです。
うん。。
どんなケースでも、いっぱい休んで泣いたら
絶対元気になれるよ。とは言えないけど
人は、ずっと悲しみ続ける、ということができないようになっているのかもしれない。
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当時も、「何か意味があったとしたら何かな? 」と思ったけど、わからず、
今考えてみても、やっぱりわからなくて。
無理に、意味付けなんてしなくてもいいんじゃないかなぁと、今は思っています。
私にとって、
・悲しさとほっとする気持ちは同居するという感覚を知った
・妊娠~流産という経験をした
そういうひとつの経験を、ただ、した。
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ほんとに、「私の場合はこうでした」というだけのシェアなのですが、
前の記事、たまにアクセスがあったり、
知っている人も読んでくれているかもしれないので
なるべく実際に感じたことが伝わればいいなと、思います。